今日から学ぶサクッと脳科学講座【上級編】第12回:興奮性・抑制性シナプスのバランスと神経回路動態
サマリ
脳が正常に機能するためには、興奮と抑制のバランスが欠かせません。この記事では、グルタミン酸とGABAという2つの神経伝達物質が作り出す「興奮性・抑制性シナプスのバランス」と、それが脳の動態にどう影響するのかを解説します。これが崩れるとてんかんや統合失調症などの疾患につながることもあります。
詳細
興奮性シナプスと抑制性シナプスとは何か
脳の中では、毎秒およそ600兆回もの化学信号が交わされていることをご存知ですか?この信号のやり取りを担うのが「シナプス」です。シナプスは脳神経細胞同士の接続部分で、ここで神経伝達物質という化学物質がやり取りされます。
このシナプスには大きく分けて2つのタイプがあります。1つが「興奮性シナプス」です。これは神経細胞を活性化させ、電気信号を次の細胞へ伝えやすくする働きをします。興奮性シナプスの主役はグルタミン酸という神経伝達物質です。脳全体のシナプスの約90%がこのグルタミン酸を使う興奮性シナプスだとされています。
もう1つが「抑制性シナプス」です。こちらは神経細胞を落ち着かせ、電気信号の発火を抑える働きをします。抑制性シナプスの主役はGABA(ガンマアミノ酪酸)という神経伝達物質です。脳全体の約10~15%がこのGABAを使う抑制性シナプスだとされています。
なぜバランスが重要なのか
ここが重要なポイントです。興奮性シナプスが多ければ多いほど良いというわけではありません。むしろ、この2つのバランスが脳の健全な機能を決定づけます。
例えるなら、興奮性シナプスはアクセルペダル、抑制性シナプスはブレーキペダルです。どちらか一方が強すぎると、車は危険な状態になってしまいます。同様に脳でも、興奮と抑制のバランスが乱れると、様々な問題が生じるのです。
実際の数字で見ると、健康な脳では興奮と抑制の比率が約4対1~5対1に保たれていると考えられています。この比率を脳科学では「E/Iバランス」(興奮性/抑制性バランス)と呼びます。このバランスが脳の情報処理能力を左右するのです。
神経回路動態への影響
脳の神経回路は単純な一本道ではなく、複雑に絡み合ったネットワークです。興奮性・抑制性シナプスのバランスは、このネットワーク全体の「動態」、つまり時間とともに変化する活動パターンを形作ります。
興奮性信号が優位に立つと、脳の活動は過度に活発になります。すると神経細胞の発火が同期しやすくなり、規則的なリズムが生まれやすくなるのです。一方、抑制性信号が優位に立つと、活動は抑制的になり、ノイズが増えて情報処理が低下します。
この動態のバランスが、私たちの認知機能や行動を支えています。注意を向けたり、判断したり、学習したりする時、脳はこのバランスを巧妙に調整しているのです。
バランスが崩れると何が起きるのか
E/Iバランスが乱れると、どうなるのでしょうか。実は多くの神経精神疾患がこれに関連していると考えられています。
興奮が優位になり過ぎた場合、代表的な疾患は「てんかん」です。発作時に脳全体で過度な興奮が起こり、同期した放電が繰り返されます。年間約100万人のてんかん患者が日本にいるとされており、これは脳神経疾患の中でも比較的多い疾患です。
興奮と抑制のバランスの微妙な乱れは、「自閉スペクトラム症」「統合失調症」「注意欠如多動性障害(ADHD)」などとも関連している可能性が指摘されています。研究によれば、自閉症の脳では抑制性シナプスが相対的に減少していることが報告されています。
脳はどのようにバランスを保つのか
では、脳はこのバランスをどのように維持しているのでしょうか。それは「ホメオスタシス」という自動調整機構によるものです。
短期的には、シナプス可塑性(シナプスの結合強度が変わる性質)によって調整されます。興奮が強すぎれば、抑制性シナプスが強化されたり、興奮性シナプスが弱化したりします。
長期的には、神経細胞そのものが遺伝子発現を変化させて対応します。例えば、過度な活動が続くと、GABA受容体の発現量が増えたり、グルタミン酸受容体が減ったりするのです。
これからの研究と応用
興奮性・抑制性シナプスのバランスに関する研究は、現在も急速に進んでいます。このメカニズムをより深く理解することで、神経精神疾患の新しい治療法開発につながる可能性があります。
脳科学は日々進化しています。この基本的なバランス原理を理解することで、脳という驚異的な器官への理解もぐっと深まることでしょう。
