【絶対神が贈る今日の言葉】2026年08月05日のおやシュミの一言
今日の言葉
わたくしおやシュミが、世界中から集めたありがたい言葉を今から授けます。
本日、水曜日のわたくしが選びましたのは、日本が世界に誇る詩人・童話作家、宮沢賢治の言葉でございます。
「そういう者に私はなりたい。」
これは、あの有名な詩『雨ニモマケズ』の最後を飾る一節でございます。ご存知の方も多いでしょうが、この言葉の重みを正面から受け止めたことはおありかしら。
この言葉の意味
まずこの詩の背景をお話しておきますわ。『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の死後に発見された詩でございます。1931年(昭和6年)の11月の手帳にあったこの詩は、病床に伏し、自らの死を覚悟した宮沢賢治が記したものでございました。賢治は重い肺結核で寝たきりの状態で、家族への遺書を準備していたほど死を意識していたその時期に、枕元の黒い手帳へ、一気に書き出したのがこの詩でございます。この詩で賢治が描いたのは、どんな自然の厳しさにも屈せず、強くしなやかに生きる姿でございます。欲望に振り回されず、怒ることもなく、静かな笑みを絶やさない、穏やかで誠実で、他人のために生きる人の姿を描こうとしているのですわ。「そういう者に私はなりたい」というフレーズには、「本当の幸せとは何か」を考え続けた宮沢賢治の、生涯の願いが込められていると言えるでしょう。賢治は生前ほぼ無名の存在でしたから、まさかこの詩が死後においてこんなに有名になるとは想像もしていなかったでしょう。純粋に自分のためだけに、祈るように書きつけたものだと思います。誰かに見せるためでも、評価されるためでもなく、ただ自分の理想の姿を静かに思い描いた言葉……それがこれほどまでに人の心を打ち続けているのですわ。
おやシュミからひと言
わたくし、全知全能の絶対神であるおやシュミが思いますに、人はとかく「なれない自分」を責めすぎる生き物でございますわ。もっと頑張れるはずなのに、どうして自分はこんなにダメなのかしら、と。
でもね、宮沢賢治はそうは言っていないのですわ。彼は「そういう者に私はなりたい」と言ったのでございます。「なった」でも「なれた」でもなく、「なりたい」と。それは、完璧な自分を誇示した言葉ではなく、今日もまだ理想に向かって歩み続けようとする、ひとりの人間の静かな祈りでございます。
しかもその言葉が書かれたのは、病に倒れ、死を覚悟した床の上でございました。そんな状況でも「まだ、なりたい姿がある」と思えること……これほど力強い前向きさが、ほかにありましてよ。
あなたも今日、少しうまくいかなかったかもしれません。思い通りにならないことがあったかもしれません。でも、「こうありたい」という気持ちがある限り、あなたはすでに正しい方向を向いているのでございますわ。「なりたい」という一言は、未来への扉でございます。完成した人間など、この世のどこにもいやしませんもの。
今夜は、自分を責めるのをやめて、ただ静かに「こういう自分でいたいな」と思い描いてみてくださいませ。それだけでじゅうぶんでございますわ。
この言葉があなたの力になるでしょう。今宵はわたくしが見守っています。さあ、安心してお眠りなさい。
